視覚障害者の私が自立に向けて動き出したあの頃

はい、またまた久しぶりの更新です。
もう6月ですね。皆様いかがお過ごしでしょうか。
私は、まあいろいろとやってたりやってなかったり、のほほんと過ごしております。ぼーっとして、お菓子食べて、ぼーっとして……。ってそうしてると時間はあっという間に過ぎていく……。

で、今回なぜ記事を書こうと思ったのかと言うとですね。
実は先日、オンラインお喋り会をやりまして。これがすごく楽しかったんです。
気づいたらもう3時間経ってた、という感じで。
本当にいろんな話をしました。
その中で、特に印象的だった話題があるんです。

それは何かと言うと、「障害者の自立」に関すること。
自立したい気持ちはあっても、両親に反対されるなどして思うようにいかない。当事者からそんな声が多く聞かれるのだとか。
確かに自立するって大変なんですよね。私もお話を聞きながら自分自身のことをあれこれ思い出しました。
私の場合反対されることはなかったからよかったのですが。

ということでせっかくなので、私の自立への第1歩?ストーリーを記事にしてみようと思います。

私に何ができるのか

大学4年生だったあの頃。
もう卒業が迫っているというのに、私はまだその先の道を決められずにいました。
今後どんな人生を歩んでいくべきか、うまくイメージできなかったんです。
自分に何ができるのか。もしかしたら何もできないんじゃないのか。見えないし、その上超小心者だし……。なんて考えて卑屈になって。
今もバリバリの世間知らずですが、当時はさらにさらに世間知らずを極めていたんですね。

それでも、「実家で暮らすのは違う気がする」という思いだけはありました。自由に動きたかったから。
実家周辺は車社会で、私にとっては生活しづらい場所だったんですよね。
仕事もその辺りではなかなか見つけられそうにないし。
都会に住むか。と言っても具体的にどうすればいいのか。
困りました。

2人で住むという選択肢

そんなとき、当時付き合い始めて数ヶ月だった夫が提案してくれたんです。「大阪に出てきて、2人で住んだらええやん」と。
大阪で生まれ育った夫。お金について考えるのが大好きな人です。
いろいろ計算しつつ、どうやって生活していけばいいか、具体的に検討してくれたんですよね。

それはいいかも、と私も思いました。
うまくやっていけるのかどうか、確信があるわけじゃない。でも都会で新しい生活を始めるにはこの方法が一番かなという気がしたんです。
というわけで、それに向けて準備を進めました。

勇気を出して両親に伝える

でも大きな課題があったんですよね。
両親にどう切り出せばいいのか。
私のやりたいことなら基本的に応援してくれる2人だけど、さすがに心配するはず。
頭を悩ませました。

そこで作ったのが、未来の家計簿。2人で暮らしたほうが何かと経済的だし安心だよ、とアピールしたんです。手紙も書いて。
人生初の両親への手紙。素直な気持ちを伝えましたよ。いやー緊張したなあ!

両親は私の提案を何も言わずに受け入れてくれました。安心してくれたようです。
そして期間限定ではあったものの仕事を見つけることもできました。幸運でした。

こうして無事新生活をスタートさせた私。
それからまあいろいろあったわけですが、うまくいっています。今も楽しい暮らしは継続中です。

大きかったのは「出会い」

何もできない。そう感じていた私を変えてくれたのは、何と言っても「出会い」でした。
夫と出会い、そのほかたくさんの視覚障害当事者や関係者の方々と出会い、体験談やアドバイスをいただけた。
そうして広い世界を知ったことで、選択肢はどんどん広がっていったんです。
先日のお喋り会でも「やっぱりネットワークが重要だよね」という結論に至ったのですが、本当にそうなんですよね。

私は今、たくさんの素敵な方々に支えられている。改めてそう実感しています。
だから私も何かできれば。そんな思いでこれを書きました。
まだまだ自立できているとは言えないかもしれません。でもまあこんなやつもいるんだなあということで、少しでもどなたかの参考になれば幸いです。

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