【視覚障害者の悩み】心の叫び

全盲でも楽しく生きられる。そのことを伝えたくて、私はこのブログを書いてきました。
大変なことはあるけれど、優しい人に恵まれ、便利なものに囲まれ、充実した日々を送っている。そのことをありのままに書いてきたつもりです。
でもね、やっぱり…
どれだけ助けてもらえても、どれだけ便利なものが増えても、それだけでは埋められないところもあるのかな。そんな気がするんです。
今回はそのことについて考えてみようと思います。

どうすれば必要とされるのか

私がいつも考えていること。それは、どうすれば必要とされるのか、ということ。

私、本当に人運に恵まれていると思います。
これまでに出会った方のほとんどは、とても優しい方でした。
私が困っているときには、たくさんの方が助けてくれました。
それは本当にうれしいし、ありがたいことです。
でも、助けてもらってばかりではないか、と心配になる…。

そういうことについて特に悩むのが、友達関係。
その中でも晴眼者の友達と一緒にいるときは、サポートしてもらうということが多くなり、気を使います。

本当は、余計なことを気にせず一緒に過ごしたい。
私の行きたいところにも、友達の行きたいところにも、一緒に行けたらいいと思う。
友達として必要としてもらえたらうれしい。
でもそれって難しい。私に何ができるのか…。
そんなふうに悩みすぎて、つい距離を置いてしまうこともあるんですよね。

どうして必要とされたいと強く思うのか。
それはたぶん、自分はただのお荷物なんじゃないかと思っていたたまれないから。
こうしてブログを書いてみようと思ったのも、理由はいろいろあるけど、「お荷物」からほんの少しでも抜け出したかったというのが一番大きかったんじゃないかな。

私にできることは?

必要とされているんだ。ここにいてもいいんだ。
そう確信できたら、私は元気になれる。
だから私はいつも、そのためにできることを探しています。

できることは限られているかもしれない。
それでも私にできることはたくさんあるはず。
そう信じて。

見えていれば、こんなときこうすることができたのに…。
時にはそんな気持ちになることもあります。
そんなこと考えても仕方がないのだけれど…。

私は見えるということを経験していないからか、見えるようになりたいという気持ちはあまり持っていません。
でも見えていたら、もっと楽しいことがいっぱいあったのかな、もっと誰かの役に立てたのかな、なんて考えたりもする。
見えるってどんな感じなのか、誰かに教えてもらうことで想像はできるけど、それは実際に自分の目で見るのとは違うだろうし、私の知らないすてきな世界はたくさんあるのかもしれない。

でもそんなふうに考えて悲しくなるのは嫌だし、私は私のやり方で、できることをやってみるしかないのかな、と思っています。

まとめ

埋められない部分を、どうすれば少しでも埋めることができるのか。
私はそれをずっと考え続けています。

いつも心の奥にしまっていることですが、きょうは思い切って書いてしまいました。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

コメント

  1. ピヨマル より:

    見えてたらもっと違う世界があったかも知れない。
    もし見えてたらあの人よりもっとましに仕事ができたはず。
    見えていたらもっといろんな経験ができたはず。
    私も昔よく考えました。もしかしたら今でも考えているかも知れません。
    でもそれを考えても前に進めないから考えるのをやめよう。
    晴眼の友人との関わりとか意識する事が違う気がします。
    相手が見えていても見えていなくてもしてあげられる事はあるはず。
    どんな場所や事をイメージしているか分かりませんが、行きたいなら行けるように自分が努力する事が大切だと思います。
    あなたはその人が役にたつから友人と付き合っていますか?
    違うとすれば相手もきっと同じなのでは?

    • namiheimaru より:

      ピヨマルさん

      コメントありがとうございます。
      そうですね。見えていたら…なんて考えてしまうことはあるけれど、大切なのは今の自分をどう生きるかですよね。
      友人関係については…
      自分が役に立つかどうか、というのは表現としてはちょっと違うかもしれません。一緒にいて楽しいと思ってもらえるかなと、ちょっと心配になるというか…。
      でも気にしすぎかなという気もするので、前向きに考えていこうと思っています。

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